カンクンに戻ってきた翌日、Cは朝早くアメリカに飛んだ。
これからロサンゼルス、サンンフランシスコとアメリカ西海岸を周る。
そういうわけで、これからまたひとり。
自分はこれからグアテマラに向かう。
今いるカンクンからグアテマラまでの行き方は大きく2つ。
1つ目はカンクンから南下しベリーズに入り、そこからグアテマラに入る方法。
2つ目はメキシコ国内を西に移動し、グアテマラに入る方法だ。
どちらのルートで行っても良かったので、どちらにしようかな感覚でメキシコ国内を進むルートに決めた。
目指すはチアパス州「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」。
名前が長すぎるので以下サンクリ。
カンクンからサンクリまではバスで約19時間。
正直、10時間を超えるバス移動はもうしたくないと言うのが本音で、幾つかの街に寄りながらのんびりサンクリに行くことを考えていたが、宿のオーナーが飛行機でも行けると教えてくれたので、迷わず飛ぶことにした。
飛行機で行く場合は、サンクリの隣にあるチアパス州の州都「トゥストラ・グティエレス」に飛び、そこからバスでサンクリに移動することになる。
ちょうど同じ宿にGさんという男性が泊まっていて、彼も長時間移動したくないと言いながらサンクリ行きを考えていたので、自分は飛行機で行きますよと教えると、彼もその方法を即採用した。
さらにその時、Gさんの知り合いのKさんという男性も宿に泊まっていて、彼は中南米に来たばかりでまだ色々と不安が多いらしく、自分たちと一緒にサンクリに行くことにした。
Gさんはおそらく30代後半の男性。
幼少の頃から毎日のように海に潜り魚や貝を採っていて、つい最近まではコスメル島でモリを片手に漁に出て、自炊生活をしていたらしい。
海なしの生活は考えられない、と言っていた。
ちなみにその前はアメリカに10年ほど住んでいて、プロのカメラマンとして働いていたらしい。
色々凄すぎてよく分からない人だ。
Kさんも同じく30代後半の男性。
昨日の残りのお惣菜をタッパのままレンジで温めようとしていたので、鍋に移して温めた方が良いじゃないですか?と言うと、鍋に移してそのままレンジにぶち込もうとしたり、新しく買ったタバコを一本だけ吸って残りを無くしてしまったので、また新しくタバコを買ったら、それも一本だけ吸い残りを無くすというのを4回くらい繰り返したり、おかず作りすぎたので良かったら食べますか?と言うと、躊躇なく6割くらい食べたりと。
ある意味凄すぎてよく分からない人だ。
ただ、Kさんとは何かと気があって、しばらく一緒に旅をすることになる。
まあ今はそれは置いといて、この三人でサンクリを目指すことになったわけだ。
夕方、空港行きのバスに乗り出発3時間前に空港に着いた。
実はグアテマラではとある日本人宿に泊まる予定なのだが、そこのオーナーがカンクンの日本人宿から荷物を運んでくれる人を募集していたので、それを自分が引き受けた。
軽い気持ちで、「自分でよければ運びますよ」と前もって連絡していたのだが、いざカンクンの日本人宿に着くと段ボールの中に日本食やキッチン用品が計10kg入っていた。
どう考えても運べないと思ったが、いらないものを捨てたり服を宿に預けたりして、何とか10kgをスーツケースに詰め込んだ。
そんなわけで、階段や坂道では気を抜いたら腕がちぎれるじゃないかというくらい重いスーツケースを持って、カンクン国際空港に到着した。
預け荷物を制限ギリギリでクリア。
飛行機は時間通り出発し、夜9時半、トゥストラ・グティエレス空港に到着した。
時間的にはバスやらタクシーを見つけて市街地に移動することも可能だったが、三人ともこの街について一切調べておらず、Kさんに至っては事前に地図すら確認せず自分が今どこにいるのか分からない状態だった。
それに夜に移動するのは危ないし、何より面倒くさかったので空港泊をすることにした。
二人とも空港泊の経験が無く、イマイチ空港泊というものをイメージできていなかったが、自分は割とあちこちで空港泊していたので、「大丈夫っすよ、ただ空港で寝るだけです」と、二人を安心させた。
ところが、いざ着いてみると予想をはるかに下回るほど空港が小さく、滑走路を除いた単純な建物の比較なら地元のイオンの方がよっぽど大きいと言えるような空港だった。
こういう小さな空港に限って24時間開いてなかったりするものだが、案の定係員に聞くと12時で閉まるとのことだった。
先のこと心配をしても仕方ない。
今はとにかく寝るんだと、三人とも到着エリアの椅子に横になった。
椅子からの垂直抗力にこんなの眠れるわけないと思ったが、気がついたら眠りに落ちていた。
数時間後、頭を叩かれる感覚に目を覚ますと、「閉まるから外にでないとダメだとさ」とGさんが言った。
Gさんはそのまま爆睡しているKさんの方に行き、体を蹴って起こしていた。
どうやらGさんは一睡もできなかったらしい。
係員に「我々はどうすれば良いのですか?」と聞くと、「外にお前たちみたいのがたくさんいるから一緒に寝ると良い」と言われたが外には誰もいなかった。
「いやいや、ちょっと待って」と後ろ振り向くと、扉は閉まっていた。
しかし、「さて、どうするか」と考えていたのはGさんだけで、自分とKさんはいい感じに眠りに入ったところを起こされたばかりなのでとてもとても眠く、地面に倒れこむように寝た。
今ならこのウルトラ超高反発ベッドと呼ぶべき地面も、しっとり冷たくて気持ちが良い。
それを見てGさんはただただ呆れていた。
数時間後、いや、寝ていたのではっきりと分からないが体感的になんとなく数時間後、体を蹴られる感覚に目を覚ました。
しかし、眠いので無視して寝た。
それから、Gさんと誰かが何かを言い合っている声が聞こえたので、何事かと起きていくとすぐそばにタランチュラがいた。
どうやら係員が教えてくれたらしい。
「危ないっ、Gさん早く起こしてくださいよ」というと「何度蹴ってもお前起きなかったろ」と呆れられた。
Kさんはというとカメラを取り出して嬉しそうにタランチュラを撮っていた。
それを見て、いかんいかんと自分も急いでカメラを取り出した。
二人でしばらくタランチュラ撮影会をしていたが、Gさんはそれを見て心底呆れていた。
どうやら夜になるとこの辺はタランチュラが降ってくるらしく、上を見上げると無数のタランチュラが屋根を這っていた。
ここにはいられないと、すぐに荷物をまとめて安全な場所を探した。
「空港泊ってこんなに過酷なのかよ」とGさんが呟いたが、「いや、タランチュラを気にしながら空港泊することなんて普通ないです」と言った。
とりあえず屋根のないところまで移動し、ここなら大丈夫だと駐車場に横になった。
もはやこれは空港泊とは言えない。
一応、空港の敷地内にいるがただの野宿だ。
時刻は朝4時。
とりあえず6時になれば空港が開くからそれまで粘ろうということになったが、結局10時まで爆睡した。
その間、Gさんは一睡もしていなかったらしく「すぐに寝るのはKだけど、一度寝たら起きないのはジュン、お前だ」と、睡眠不足と呆れで疲れ切っていた。
逆にKさんと自分は割と寝たこととタランチュラを見れたことで、結構元気だった。
お昼頃、バスに乗りサンクリへと移動した。