チリにのサンペドロ・デ・アタカマからアルゼンチンのウマワカ渓谷を周り、ボリビアのウユニへ移動。
チリから直接ボリビアに入る人が多い中、このルートを選んだのには理由がある。
もちろんウマワカ渓谷を見たかったのもそうだが、もう一つ高山病対策としてこのルートは最適だ。
地図を見ると分かるが、ウマワカ渓谷を北上していくと少しずつ標高が上がっていき、知らぬ間に高度順応できているのだ。
サンペドロですでに高山病になってしまったので、一度標高1200mのフフイで態勢を立て直し、少しずつ標高を上げ、無事にウユニへとたどり着いた。
ところが、ウユニの村に着いた翌日突然で熱が出た。
すぐにでもツアーに参加して、ウユニ塩湖に行きたいところだが、こうなってしまっては仕方ない。
体温計には38度の表示。
平熱35度の自分にとっては十分高熱。
1人で歩けないほどフラフラになってしまった。
こういう時、2人というのは本当に心強い。
Cがすぐに保険会社に電話して近くの病院の場所を調べ、先に1人で病院に行き自分がすぐに診察できるように受付を済ませておいてくれた。
グッジョブ、C。
病院に着いた時には、熱は少し引いていた。
頭痛や全身の倦怠感、関節の痛みなど一通りの症状を伝えると、なぜか診断結果は喉の感染症。
喉には痛みどころか違和感すら感じない。
全く不思議だ。
その日は入院することになった。
薬を処方されて終わるものだと思っていたので、これにはさすがに驚いたが、Cがすぐに病院と宿を往復して、着替えやら暇つぶし道具やら必要な物資を輸送してくれた。
グッジョブ、C
ベッドに横になると毛布を4枚ほど掛けられ、それから点滴を打たれた。
人生で二度目の点滴。
ちなみに一度目はインドだ。
足の指先に水ぶくれができたことで受診したのに、薄暗い部屋の片隅に一つ置かれたギシギシと軋むベッドに寝かされ、いきなり点滴を打たれた時の不安に比べたら、今回の安心感たるや言葉では言い表せない。
Cが帰ると部屋はとても静かになった。
ベッドが3つある部屋だが、寝ているのは自分だけ。
同じくベットが3つの部屋が、廊下の左右に5,6部屋ほどあるが、やはり寝ているのは自分だけらしい。
トイレに行くために点滴セットを転がしながら廊下に出るが、あたりは真っ暗。
人の気配は何も感じない。
人ではない何か気配を感じる、ということもない。
夜の病院というのは少し興奮する。
カレーライスとかハヤシライスとかじゃない。
ライス。
さすがに何かしらおかずも出るだろうと思い待った。
待って待って1時間くらい待った頃、ドクターが点滴の液を交換しに来た。
「ジュン、調子はどうだい?」
「良い感じです。ところで晩御飯ってこれで全部ですか?」
「ああ、全部だ」
標高3700mでただでさえ美味しく炊き上がらなかったご飯をさらに常温で1時間放置し、より一層美味しくなくなったところで仕方なく食べた。
この日の夜は、初めての入院で興奮していたのか点滴が邪魔だったのか4重の毛布が重すぎたのか、一睡もできなかった。
ただ、この病院はwifiが爆速だったので、「眠れない時 どうする」とか「点滴 邪魔」とか「病院食 安全」とか本当に他愛のないことを一晩中調べていた。
翌朝7時。
医師と看護師が6,7人ほど自分のベッドの周りを囲み、何やら話し始めた。
どうやら引き継ぎを行っているらしい。
昨夜の症状、ご飯はどれくらい食べたか、などを細かく伝えていた。
今日の医師は英語が話せたので、何時に退院できるか聞くと17時と言われた。
実は今日の15時からウユニ塩湖のツアーに申し込んでいたので、できればその前に退院したかった。
熱も下がり体調も普通。
唯一寝不足だったが、ここにいても眠れる気がしなかったので、今すぐに退院して宿で仮眠を取ってからツアーに参加するというのがベストな気がした。
「あのー、実は今日午後からツアーに参加する予定なんです。それで、もう退院してもいいですか?」
「構わないけど、悪化しても知らないよ」と、意地悪そうな笑みを浮かべながら医師は言う。
「大丈夫です。もう治りましたから」そう言って退院した。
宿に戻り3時間ほど仮眠をとりツアーに参加した。
ところが、ツアー中にお腹の調子が悪くなった。
とは言え、ウユニ塩湖にトイレはない。
ましてウユニ塩湖は世界一平らな場所。
遮るものなど何もない。
当然、その辺ですることもできない。
結局、5時間気合いで我慢した。
夜、ウユニの町に帰ってきて真っ先に一番近くにあったホテルに駆け込みトレイを借りた。
もし、あと一つ多く信号で停まっていたら、力尽きて社会的に終わっていた。
それくらいしんどかった。
その夜は何度もトイレに行った。
そして、その度に大量に血が混ざった真っ赤な下痢。
ようやく治まり、布団に入ろうとすると今度は激しい寒気に襲われた。
確実に高熱が出ていることがわかったが、計るのが怖かったのでそのまま寝た。
翌朝、腹痛とともに目を覚ます。
午前中だけで10回ほどトイレに行った。
熱は38度近く。
2日前と全く同じことをCにしてもらい病院に向かう。
前回とは違う女性の医師で、症状を一通り話すと今回は食中毒と言われ、そしてすぐに入院するようにベッドに案内された。
前回と同じく3号室の3番のベッドだ。
そしてまたしてもCに物資の輸送をお願いした。
グッジョブ、C。
その夜は何か食事が出たが、全く食欲がなかったので内容すら確認していない。
夜中もまたトイレに10回近く行った。
翌朝7時。
引き継ぎの時間だ。
自分が退院を申し出た医師が来た。
「だから言ったろ、ジュン」とニヤニヤしていた。
「うん、自分が間違ってた」と反省。
今回はきっちり3日間入院することを誓う。
お昼頃、看護師が500mlの水と何やら粉末を持ってきた。
それをベッドの横で水に溶かすと、飲むように言った。
おそらくスポーツドリンクのようなものだ。
下痢が続いていると言ったので、脱水症状にならないように飲むのだろう。
ところが、この液体が本当にまずかった。
この味を的確に表現すのは難しいが、強いて言うならドロドロと粘性を帯びたとても甘い塩水、だ。
息を止めながら少しずつ飲むが一向に減らない。
看護師が点滴を確認に来るたびに、「もう500mlあるから早くこれ飲んじゃってね」と嬉しそうに言うのだ。
さすがにこれを全部飲んだら追加で嘔吐の症状まで出てしまうと思い、こっそりトイレに流した。
それから「よく飲んだわね。次これ、はい」と、もう500ml持ってきたので、それもすべてトイレに流した。
その夜も何か食事が出たが、一切口をつけず寝た。
翌朝、下痢もすっかり治まり体調も良くなった。
朝食はなんと野菜炒めとスープ。
一口二口しか食べられなかったが、感動するほど美味しかった。
午前中に退院して宿の戻ると、部屋は綺麗に整頓されていた。
グッジョブ、C。
それから5日ほど宿で安静にし、ツアーに参加した。
この旅で一番楽しみにしていたウユニ塩湖だが、食中毒が辛すぎてあまり塩湖での記憶がない。
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