ロンドンに行くにあたり一つ気がかりだったのが気温だ。
これまであまり寒い国には通らなかったので、7分丈のズボンにクロックスという軽装で旅をすることができた。
旅に出る前に600円くらいで買ったこのクロックスだが、やはり長く履いていると愛着というものが湧くもので、少々のトレッキングならこいつと一緒にこなしてきた。
で、おそらくこれまで周ってきたどの国よりも寒いであろうロンドンだ。
行ったこともないのに、なぜかロンドン=寒いというイメージが出来上がっているほど、ロンドンは寒いのだ。
クロックスで旅を終えるにあたり、ここが一つの鬼門になると思っていた。
まあ、本当に寒さに耐えきれなくなれば靴と靴下を買うが、叶うなら最後までこいつと一緒に旅を続けたい。
ロンドンのガトウィック空港に着くと、それまで薄着をしていた乗客たちは一斉に厚手のジャケットやダウンを羽織り始めた。
こういう時、1人でもサンダルの人がいれば心強いが、ザキントス島というリゾート地から来たというのに、皆一様にいわゆる「靴」を履いている。
もはやこれまでかと思ったが、空港を出ると想像を遥かに下回って寒くない。
いける。
これならいけるぞ。
今しばらくは一緒に旅ができるんだ。
力強くクロックスを履き直し、薄手のパーカーを羽織り今日の宿へと向かった。
まあ、どうでも良いっすね。
ロンドンではシモーネさんと再会した。
ハンガリーで会って以来のなので、しばらくほどでもないぶりだ。
自分よりも1日か2日早くロンドン入りしたシモーネさんと再会する前日メッセージをした。
「ロンドンで行きたいところある?」と聞かれたので、「ハイゲート地下鉄駅に行きたいです」とスマホに文字を打つ。
どこそれ?と思うかもしれない。
自分も同じ気持ちだ。
ロンドンにはハイゲート地下鉄駅という廃墟がる、ということしか知らない。
そして、それしか情報がないのになぜかそこに行きたくてしかたなかったのだ。
まあ、何よりもどこそれ?と思ったのはシモーネさんだろう。
ロンドンでの限られた滞在日数。
きっと行きたい場所は山ほどあっただろうに、なぜそんなわけのわからん廃墟に行かなくていけないのか、と思ったに違いない。
ビッグベン、ロンドンアイ、ウェストミンスター寺院。
有名どころは山ほどあるのに、ロンドン観光の一発目が駅の廃墟とはなんぞや、と思ったに違いない。
違いないに違いない。
それでも快くOKしてくれた。
感謝。
翌日、お昼前にハイゲート地下鉄駅で待ち合わせをした。
廃墟となったハイゲートの代わりに、今は別のハイゲートが使われているのだ。
日本っぽく言うなら新ハイゲート駅と言ったところか。
とりあえず「新」の近くにあるだろうと思い、「旧」の場所をろくすっぽ調べていなかったのだが、シモーネさんがしっかりと調べていてくれた。
提案しておいて人任せ。
迷ったり犬に襲われたりしながら彷徨うこと数十分。
あった。
草が枝垂れれている感じ、最高に興奮する。
中に入りたかったが、鉄格子で固く閉ざされていた。残念。
これから始まるイギリス廃墟巡りの出鼻をくじかれた気分だ。
諦めて駅に戻ることに。
その途中、あれ?こんな道通ったっけ。となった。
思い出そうとしても思い出せない、全く見覚えのない道なのだ。
だが来る時は確実にこの道を通っているはずだしこれは変だ。
さっきの廃墟に近づいたことで二人とも記憶を改竄されたに違いない、と二人でワイワイ盛り上がっていたが、よくよく地図を見たら単に違う道で帰っていただけという、実になんてことない普通の出来事があった。
先ほどのはトンネルと線路だが、実は廃墟となった駅舎は新ハイゲート駅のすぐ隣にあったのだ。
それを知り一気にテンションが上がるが、こちらも入れないことが分かり一気にテンションが下がる。
周囲が有刺鉄線で囲われ、所により監視カメラ。
廃墟となった駅舎にそこまでするかと思ったが、それだけ人を入れたくない理由があるのだろう。
きっと何かこの世ではないものが幽閉されているに違いないと、想像を掻き立てるだけ掻き立てて後にした。
それからウェストミンスター寺院、ビッグベンと周った後、お昼にフィッシュ&チップスを食べた。
フィッシュ&チップスって名前からしててっきりお魚チップスみたいなお菓子を想像していたのだが、普通にでかい魚が出てきて焦った。
もちろん食べきれない。
ヨーッロッパで外食するときは、食べたい物よりも食べ切れるものを選ばなくてはいけないとつくづく思う。
でないと美味しいかどうかよりも多いかどうかの感想が先に来てしまう。
昼食を食べながら話したことが印象に残っている。
話したというかシモーネさんが抱く身近な疑問を一緒に考えたのだが、これがとても面白かった。
具体的には「蟻は転落死するのか」「なぜ意識して階段を上り下りできないのか」だった気がする。
久方ぶりに頭をひねった。
まあ、ひねったからと言ってこれと言った解は出なかったのだが。
食事を終え、「バタシー火力発電所」というところに行った。
これも自分が行きたかった廃墟だが、もはやお決まりのごとく工事中で入れなかった。
なんというか、ロンドン観光というよりも自分の廃墟巡りに付き合わせてしまった感が否めない。
その上、3箇所連続で入れずどんどんと自分のテンションだけが下がっていくという申し訳なさと言ったら。
まあ、そんな感じでロンドン観光は幕を閉じる。
ちなみに後で詳しく調べてみたが、蟻は転落死しない。
100mから落とそうが10000mから落とそうが、途中で重力と空気抵抗が釣り合い一定以上の速度にはならないのだ。
この速度を終端速度と言うらしく、この速度では蟻の肉体を粉砕するほどのエネルギーは生まれないというのがその理由だ。
わかりやすい例えが雨だ。
雨は上空2000m以上から落下してくるのに、地上にいる人間にはそこまでの速度に感じられない。
これも雨粒が落下中に終端速度に達してしまうためである。
もし空気抵抗がなければ地上付近での雨粒の速度は時速700kmほどらしい。
「この世に空気抵抗がなければ、時速700kmの雨が降る」
このフレーズなんか好きだ。
「たとえ雨が降ろうと槍が降ろうと」の後半部分「槍が降ろうと」が必要ないくらい、雨だけも充分な殺傷能力があることになる。
まあ、そういうわけで蟻は転落死しない。